経 堂
ふたりで ここで
商店街を歩き始めたとき、ちひろは、ここだと思った。学生時代から付き合っていた一つ下の彼が、もうすぐ学校を卒業して、山形から上京してくる。一年早く東京に出て、文具メーカーの商品開発部で働くちひろが、ふたりで一緒に暮らせる賃貸を探して、不動産屋さんと物件を見に来たのだった。
「きょうどう」って読むんだ。いいですね。この街」
去年の春、自分が上京してきたときは、東京も近郊も、どこがどんな街なのか何もわからなかった。とりあえず家賃だけを基準に決めた近郊の街でのひとり暮らしはどうにも味気なく、会社帰りにお惣菜を買ってひとり真っ暗な部屋に帰ると、山形に帰りたくて辛くなる日もあった。山形のおばあちゃんが、畑で採れた大きなスイカに応援メッセージを書いて送ってくれたときは、食べながら涙がぼろぼろ流れた。
そんなひとりのときとは違って、ふたりで暮らす街を選ぶのは、無意識に、ふたり分の目で街を見つめていた。学生街の雰囲気もあって、お年寄りものんびり歩いている。田舎から出てきたばかりの彼も、この街の雰囲気には安心するはず。経堂で二カ所の賃貸マンションを内見して、その一つ目に決めると、ちひろはすぐに引っ越して、先に生活の準備をすることにした。
「ここのオムライスうまい」(送信)
「バーで会ったご夫婦と仲良くなったよ」(送信)
「カフェのマスターも東北出身だった」(送信)
経堂で先に暮らし始めたちひろの街開拓が始まった。見つけたお店や出会った人の紹介を時々、彼にラインで送りながら、やっぱり直感は正しかったとちひろは思った。街というものに心があるとしたら、この街は人を受け入れるオープンな心がある。
「もうすぐ経堂につくよ」
いよいよ彼が上京する日。お昼過ぎに、彼からラインのメッセージが届いたのを見ると、ちひろは駅に向かって飛び出した。
「改札を出たところにいるよ」
「どこ? あ、いた」
新しいふたりの物語が、今、この街に加わった。