まちまちストーリーズ
machi mashi storiesMOVIE

経堂篇
町田篇

この街を愛し、
ここにしかない
人生の景色を描く
小田急の仲介

まちまちストーリーズに込めた想いREAD MORECLOSE

私たちは、小田急沿線に深く根を張り、
高密度で展開しています。

街を愛し、深く知り続けることで、
リアリティのある情報をお客様にお伝えし、
未来までお客様の人生を描くことが、
私たちの使命です。

街には、人や風や空が触れ合い、織りなす
いくつもの物語があふれています。

家を売る人と買う人、それぞれの人生に
日々、向き合い、寄り添う私たちだからこそ。
その物語の一つひとつに寄り添っていければと、
この「まちまちストーリーズ」をつくりました。

誰かの人生の、なにげない景色を通じて、
人生の愛おしさや嬉しさ、よろこびにふと気付き、
今よりも少しだけ、
日常を楽しんでいただけたら嬉しいです。

この街を愛し、ここにしかない人生の景色を描く。

けんめいに日々を生きる誰もが、
この街とこの人生を、もっと愛せるように。
小田急不動産仲介営業部は、
使命を果たし続けていきます。

愛すべき街々の
小さな日常の物語集。

小田急不動産のお店で
無料配布中!

経 堂

ふたりで ここで

商店街を歩き始めたとき、ちひろは、ここだと思った。学生時代から付き合っていた一つ下の彼が、もうすぐ学校を卒業して、山形から上京してくる。一年早く東京に出て、文具メーカーの商品開発部で働くちひろが、ふたりで一緒に暮らせる賃貸を探して、不動産屋さんと物件を見に来たのだった。

「きょうどう」って読むんだ。いいですね。この街」

去年の春、自分が上京してきたときは、東京も近郊も、どこがどんな街なのか何もわからなかった。とりあえず家賃だけを基準に決めた近郊の街でのひとり暮らしはどうにも味気なく、会社帰りにお惣菜を買ってひとり真っ暗な部屋に帰ると、山形に帰りたくて辛くなる日もあった。山形のおばあちゃんが、畑で採れた大きなスイカに応援メッセージを書いて送ってくれたときは、食べながら涙がぼろぼろ流れた。

そんなひとりのときとは違って、ふたりで暮らす街を選ぶのは、無意識に、ふたり分の目で街を見つめていた。学生街の雰囲気もあって、お年寄りものんびり歩いている。田舎から出てきたばかりの彼も、この街の雰囲気には安心するはず。経堂で二カ所の賃貸マンションを内見して、その一つ目に決めると、ちひろはすぐに引っ越して、先に生活の準備をすることにした。
「ここのオムライスうまい」(送信)
「バーで会ったご夫婦と仲良くなったよ」(送信)
「カフェのマスターも東北出身だった」(送信)
経堂で先に暮らし始めたちひろの街開拓が始まった。見つけたお店や出会った人の紹介を時々、彼にラインで送りながら、やっぱり直感は正しかったとちひろは思った。街というものに心があるとしたら、この街は人を受け入れるオープンな心がある。

「もうすぐ経堂につくよ」
いよいよ彼が上京する日。お昼過ぎに、彼からラインのメッセージが届いたのを見ると、ちひろは駅に向かって飛び出した。

「改札を出たところにいるよ」
「どこ? あ、いた」
新しいふたりの物語が、今、この街に加わった。

新百合ケ丘

道ばたの演奏会

職場で知り合って結婚した夫の実家の近く、川崎市麻生区、駅で言うと新百合ケ丘駅から徒歩十五分のところに美穂たち夫婦がマンションを買ったのは三年前。すぐに子どもができるだろうと思っていたけれど、思うようには授からず、お互いに都心での仕事も忙しかったから、シンユリの街も、眠りに帰るだけのベッドタウン状態だった。

ようやく去年、美穂のお腹に命が宿り、長男が誕生した。子どもが大きくなるまでは、仕事は夫に頑張ってもらうことにして、美穂は子育てに専念することにしたのだった。ベビーカーを押しながら、平日の日中を小さな息子と過ごすようになって、美穂にはこの街の見え方が大きく変わった。

個人経営の小さなお菓子屋さんやレストラン。バイオリンの修理工房。公園の花壇の手入れをしている地域のボランティアさん。住宅街の中に残る畑で野菜をつくる農家さん。「わあ赤ちゃん可愛い」と、ベビーカーをのぞきこむ小学生たち。あちこちで開かれている子どもたち向けのアートのワークショップ。通勤のときの急ぎ足や、夫と車で走っているだけでは見えていなかったものがこの街にはたくさんあった。
「今さらだけど、私たちいいところに住んでたんだね」
息子と一緒に、美穂も、周りの世界を再発見した。

「うわーーーん、うわーーーん、ぐわーーーん」
しかし、子育ては平穏な日々ばかりではなかった。駅前のスーパーに買い物に行った帰り道。美穂はたくさんの食材の入ったバッグを肩にかけ、空のベビーカーを押しながら、泣きながらやっと歩く息子の手を引いていた。
「雨が降ってきちゃうかもしれないよ。早くおうちに帰ろう」
すれ違う人が振り返るほど息子の泣き方が激しくなっていくのが辛くなり、美穂が無理に息子を抱きかかえようとしたとき、美穂の肩からバッグが落ち、ベビーカーもひっくり返った。息子の泣き声はさらに大きくなった。
「あー、もう……」
そんなママと子どもの様子に気づき、駆け寄ってきて、落ちたバッグから散らばったものを拾い集めてくれる何人かの人がいた。
「大丈夫よ。こういう時期ってどんな子にもあるの」
「うちの子の小さい頃を思い出すよなあ」
年配の夫婦が転がったジャガイモや玉ねぎを拾いながら、優しい言葉をかけてくれた。まだ泣いている息子を抱えて美穂は頭を下げながら、自分の目に涙が溜まってくるのを感じた。

その様子に気づいて、今度は四人の男女が近づいてきた。お揃いの衣装を着て、手には四人ともクラリネットを持っている。すぐそばの音楽大学の学生たちのようだった。
「ちょうど今、近くの保育園で演奏してきた帰りなんです。子どもたちに人気の曲を一曲、やってもいいですか」
ひとりの元気な女の子がそう言って、他のメンバーに目で合図すると、四人がクラリネットを構えた。呼吸を合わせる少しの間があって、次の瞬間、軽快なメロディーが四人からあふれ出した。人気アニメのテーマソングの楽しいクラリネット四重奏に、息子も身を乗り出した。たちまち歩道はコンサート会場になった。

三分ほどの演奏が終わった。道ばたの演奏家たちが会釈して、微笑みながら手を振ると、まだ涙で濡れている息子と、その母の顔に笑顔が戻った。街の人たちの拍手がみんなを包んだ。

新百合ケ丘

道ばたの演奏会

職場で知り合って結婚した夫の実家の近く、川崎市麻生区、駅で言うと新百合ケ丘駅から徒歩十五分のところに美穂たち夫婦がマンションを買ったのは三年前。すぐに子どもができるだろうと思っていたけれど、思うようには授からず、お互いに都心での仕事も忙しかったから、シンユリの街も、眠りに帰るだけのベッドタウン状態だった。

ようやく去年、美穂のお腹に命が宿り、長男が誕生した。子どもが大きくなるまでは、仕事は夫に頑張ってもらうことにして、美穂は子育てに専念することにしたのだった。ベビーカーを押しながら、平日の日中を小さな息子と過ごすようになって、美穂にはこの街の見え方が大きく変わった。

個人経営の小さなお菓子屋さんやレストラン。バイオリンの修理工房。公園の花壇の手入れをしている地域のボランティアさん。住宅街の中に残る畑で野菜をつくる農家さん。「わあ赤ちゃん可愛い」と、ベビーカーをのぞきこむ小学生たち。あちこちで開かれている子どもたち向けのアートのワークショップ。通勤のときの急ぎ足や、夫と車で走っているだけでは見えていなかったものがこの街にはたくさんあった。
「今さらだけど、私たちいいところに住んでたんだね」
息子と一緒に、美穂も、周りの世界を再発見した。

「うわーーーん、うわーーーん、ぐわーーーん」
しかし、子育ては平穏な日々ばかりではなかった。駅前のスーパーに買い物に行った帰り道。美穂はたくさんの食材の入ったバッグを肩にかけ、空のベビーカーを押しながら、泣きながらやっと歩く息子の手を引いていた。
「雨が降ってきちゃうかもしれないよ。早くおうちに帰ろう」
すれ違う人が振り返るほど息子の泣き方が激しくなっていくのが辛くなり、美穂が無理に息子を抱きかかえようとしたとき、美穂の肩からバッグが落ち、ベビーカーもひっくり返った。息子の泣き声はさらに大きくなった。
「あー、もう……」
そんなママと子どもの様子に気づき、駆け寄ってきて、落ちたバッグから散らばったものを拾い集めてくれる何人かの人がいた。
「大丈夫よ。こういう時期ってどんな子にもあるの」
「うちの子の小さい頃を思い出すよなあ」
年配の夫婦が転がったジャガイモや玉ねぎを拾いながら、優しい言葉をかけてくれた。まだ泣いている息子を抱えて美穂は頭を下げながら、自分の目に涙が溜まってくるのを感じた。

その様子に気づいて、今度は四人の男女が近づいてきた。お揃いの衣装を着て、手には四人ともクラリネットを持っている。すぐそばの音楽大学の学生たちのようだった。
「ちょうど今、近くの保育園で演奏してきた帰りなんです。子どもたちに人気の曲を一曲、やってもいいですか」
ひとりの元気な女の子がそう言って、他のメンバーに目で合図すると、四人がクラリネットを構えた。呼吸を合わせる少しの間があって、次の瞬間、軽快なメロディーが四人からあふれ出した。人気アニメのテーマソングの楽しいクラリネット四重奏に、息子も身を乗り出した。たちまち歩道はコンサート会場になった。

三分ほどの演奏が終わった。道ばたの演奏家たちが会釈して、微笑みながら手を振ると、まだ涙で濡れている息子と、その母の顔に笑顔が戻った。街の人たちの拍手がみんなを包んだ。

町 田

リスのお告げ

「ここほんとに東京?」
「そう。東京だよ」
「ねえ、すごくいっぱいリスがいるんだけど」
「ね。言ったでしょ」

町田で生まれ育った哲也にとっては、昔、子どもの頃に来た思い出の場所、町田リス園。

二百匹のリスたちが放し飼いされていて、来場者が餌をあげながら直接触れ合える、町田の子なら知らない子はいないと思われる基本のレジャースポットだ。
まさか四十歳になって、ここに彼女を連れて来ることになるとは。哲也は不思議な気持ちだった。

友人の紹介で知り合った泰子を、哲也は好きになった。
泰子も同い年で独身だった。お互いにいろんな恋愛も経験したが、結婚ということには至らずにここまで来ていた。哲也は三十五歳のときに起業し、自分の会社の経営に夢中だったし、泰子は大手企業の広報担当として忙しく過ごしてきた。それぞれ、結婚したくないわけではなかったが、しなければならないというものでもなかった。そんなふたりが知り合って、スポーツ観戦という共通の趣味を仲間で楽しむうちに、時々、ふたりでも会うようになっていた。

「そういえば、ゼルビア※の試合を観に行ったとき、森の中のリス園の前を通ったよね。あそこに行ってみようよ」
※町田市を本拠地とするサッカークラブ、 FC町田ゼルビア。

リス園デートは泰子が言い出した。哲也としては少し渋々だったが、来てみれば、大人の女性のグループや、二十代のカップルもいて、意外と居心地は良く、ホッとした。
ひまわりの種を買い、園で貸してもらえる手袋をつけて種を手のひらにのせると、すぐに数匹のリスが素早くふたりに駆け寄ってきた。それだけで大騒ぎしている泰子を写真に撮ったり。泰子の膝にリスがのるように誘導したり。

童心に帰ってリスと戯れながら、ふたりは思っていた以上に楽しんだ。もし自分たちが小学生の頃に一緒に来たとしても、おそらくこんなふうだっただろうなと哲也は思った。

その夜は、町田駅前の哲也の行きつけの居酒屋でふたりは食事をした。町田のサッカー好きが集まるお店で、その日も、哲也もよく知るメンバーがだんだん集まってきて、泰子も紹介して一緒に話した。地元チーム愛の強い面々に引くかと思いきや、泰子はすっかり溶け込んで、チームの今後の方向性を語り合っている様子は昔からの仲間のようだった。

熱く続いているサッカー談義を途切れさせないように挨拶をして、夜十時頃、ふたりは店を出た。
「町田っておもしろい街だね」
泰子が一日を振り返るように言った。歩きながら哲也は、リス園で遊んでいたときの泰子が小学生に思えたことを伝えると、泰子は笑って、哲也のほうが小二くらいだったと言い返した。

哲也は少し真面目な顔で、昼間、自分の肩にのってきたリスがこの女性と一緒になれと、耳元でささやいたことを泰子に伝えた。
「リスもそう言うので、結婚しませんか」
泰子が「小二か」と突っ込んで、哲也の手を握った。

藤 沢

根ざしなおす

あのとき、あんなに心配したのは、なんだったんだろう。
五月晴れの休日の朝。自宅のウッドデッキでコーヒーを一人で飲みながら、圭介はふと思った。半分開いているリビングの窓からまだパジャマ姿の六歳と四歳の息子たちも顔を出した。
「ママは海?」
「そうだよー」

圭介が思い出していたのは、三年前、ここに越してくるときのことだ。
品川のマンションで妻とふたりの子と暮らしていた圭介が、藤沢の実家に引っ越すことを考え始めたのは、父からの連絡がきっかけだった。
「お前がこの家に住まないとしたら、この家を売りに出そうと思うが、どうする」
聞けば、七十代になって足腰が弱ってきた母のことも考えて、父と母ふたりで高齢者専用のマンションに移り住むことに決めたと父は言った。
「ちょっと考えてみる。また連絡する」

そんな話から急に始まった藤沢移住の検討だったが、圭介は内心、ありかもしれないと受け止めていた。

藤沢なら都心に通勤もできる。四十代になって、仕事と人生のバランスを取りなおすときが来ているような気もしていた。
ただ、妻の和美がどう思うかが心配だった。彼女が嫌がったら無理だろうな。そんな心構えで、ある夜、風呂上がりの妻に切り出してみると、返ってきたのは意外な答えだった。

「いいじゃん。海のある暮らし。この子たちもよろこびそう」
「まあ、そうすぐに決めなくてもいいと思うんだけど……」
「平気だよ。そうしようよ」
「え?」
「引っ越すなら子どもたちが小学校に上がる前がいいし。ねえ、ソラ、カイ、藤沢のじいちゃんばあちゃんち、好き?」
妻と子どもたちは海で何をして遊ぶかで盛り上がり始めた。
逆に圭介が家族に背中を押されるように、トントン拍子で話が進み、圭介たちが実家を受け継ぐことになったのだった。

「中途半端に思い出の家具があったりすると良くない。なるべく圭介たちが一からやりたいようにやったらいい」
「そうね。和美さんも気にせずいろいろリフォームしていいのよ」
次のマンションでの暮らしの準備に気持ちを切り替えて、今まで使っていた家具もどんどんリサイクルショップに引き取ってもらう父と母の思い切りの良さに圭介は驚いた。
「お父さんもお母さんも、本当はとっておきたいものもいっぱいあるのに、私たちに気を遣ってそうしてくれてるんだと思うよ」
和美に言われて、圭介はそうかもしれないと思った。

父と母の引っ越しを手伝って、それから自分たち家族の引っ越しと、親族にとって大移動の一ヵ月を経て、圭介たちの藤沢での暮らしが始まった。
フローリングを張ったり、ウッドデッキを増築したり、どんどん自分たち仕様にリフォームを進められたのは、父と母が、この家をいったんリセットしてくれたおかげだと、圭介たちはあらためて感謝した。自分たちでDIYした柵に家族みんなで白いペンキを塗ったり、庭にドラセナの木を植えたりするうちに、圭介は家族と一緒に、もう一度、この土地に根ざしなおしていくような感じがした。

「あ、ママ、帰ってきた」
「ただいまー。ごめん、遅くなった。朝ごはんにしよっかー」

圭介と息子たちがウッドデッキでくつろいでいるところに、和美がサーフボードを抱えて海から帰ってきた。半年前にサーフィンを始めた和美は、朝5時から海に行く日も多い。そんな朝は圭介が子どもたちを引き受けていた。
「お昼はおじいちゃんおばあちゃんを呼んで庭でバーベキューだからねー。あとでお迎えに行くよー。パパは食材と炭の準備もよろしくね!」
サーフボードを洗いながら、家族全員にテキパキと今日一日の段取りを説明する和美の声がみんなの目を覚ますように明るく響き渡った。
この土地でいちばん花開いているのはこの人だなと、圭介が和美にスマホを向けると、和美は両手でピースした。

海老名

走れば ふるさと

「やっぱり置いてった。パパのうそつき」
小学校五年生のゆかこは、海老名の広々とした歩道を、市街地から西に向かって走っていた。ゆかこの見つめる先には、白いウェアと黒いパンツ、エメラルドグリーンのランニングシューズで決めて、軽快に走っていく父がいた。山道をトレイルランニングすることもある父の走りはとても身軽で、それがまたゆかこには悔しく思えた。

「一緒に走るって言ったのに」

相模川沿いの相模三川公園の土手に着くと、屈伸運動をして待っている父がいた。ゆかこの腕に出発前につけさせたスポーツウォッチを見ながら、いいタイムだと、父の一郎は嬉しそうに言った。ゆかこの不機嫌そうな顔に気づくと「離れても一緒に走ってたよ」と言って、相模川の流れのほうに目をやった。
「ほら、空と山と川が綺麗だ」

父の見つめるほうにゆかこも目を向けると、確かに、日曜日の午前の日差しを広々とした相模川がキラキラ反射していて、その先には街を囲むように丹沢の山の連なりが見え、その上には雄大な青空が広がっていた。

ゆかこたち家族は、半年ほど前に、カナダから海老名に引っ越してきた。グローバルメーカーに勤める父の海外赴任が終わり、帰国して住み始めたのがこの街だった。父の新しい勤務地と、母の実家のちょうど間くらいという理由でこの街を第一候補にし、不動産屋さんと一緒に家族で住まいを見てまわると、父と母はすぐに、ここにしようと決めた。家族で安心して過ごせる街だと感じたことと、空が大きいことが決め手だと言った。

「学校には慣れた?」
「まあまあ。ゆりちゃんも去年、アメリカから転校してきたんだって」
「友だちになれた?」
「昨日も一緒に遊んだよ」
「そうか。パパも日本での仕事にやっと慣れてきたよ」
近況を話しながら、ゆかこと父はアキレス腱を伸ばしたり、足首を回したりした。

「今度、あの山を走ろう」
父が指差す先には尖った山があった。
「置いていくからいやだ」
「まだゆかこには早いか。でも自然と一つになるのはいいよ」
そう言いながら、また走り出した父について、ゆかこも走り出した。

「自然と一つってどういうこと?」

相模川沿いを並んで走る父と娘を、羽の先の黄色い小鳥がさえずりながら眺めていた。

小田原

未来へのお返し

山本さんは小田原に住んで四十年になるらしい。
現役の頃は電気工事の仕事をしていたが、七十歳を過ぎた今は、仕事は引退し、週末は少年サッカーチームのサポートスタッフをしている。歴史の勉強も趣味らしく、時々、市の史料文化館で調べ物をしたり、小田原城のボランティアガイドをしたりしていると聞いたこともある。
ちょうど自分の父親と同い年くらいの山本さんのことを、サッカーチームでパパコーチを務めるリュウジは慕っていた。

「山本さん、いつもいちばんに来てライン引きをしていただいて、すみません」
「これくらいしか俺にできることはないからなあ」
「コーチたちにも早く来るように言っているんですが」
「大丈夫。俺は朝、早く目が覚めるんだよ。来る前に釣りもしてきたんだから」
日曜日の午前、河川敷のグラウンドでライン引きを押しながら山本さんはリュウジに言った。山本さんの引くラインは、なんの目印がなくてもいつもまっすぐで、丁寧な仕事をする工事士だったことが想像された。
練習中も子どもたちに声をかけて、練習を見守ってくれた。早朝の釣りが大漁だったときは、練習後のコーチたちにサバを配ってくれたりもした。

ある大会が一段落したとき、監督やコーチたちの飲み会で、リュウジは山本さんの隣に座って、いろんな質問をして、昔の話を聞いた。
子どもの頃は教師になりたかったけれど、両親が早くに亡くなって、叔父に育てられたこと。だから高校を出てすぐに働いたこと。少年サッカーチームには創設の頃から関わったこと。山本さんの息子がプレーしていた頃は、とても弱くて、最初の一年は一勝もできなかったこと。初めての一勝のときは、優勝したみたいにみんなで喜んだこと。山本さんは昨日のことのように語った。

子どもたちやチームのために動いてくれる山本さんを尊敬していることをリュウジが伝えると、自分が今まで人にずいぶんお世話になってきたから、若い人たちにそれを返していきたいのだと山本さんは言った。年寄りにバックパスは要らない、未来にパスしていけばいいと笑った。もし山本さんが教師になっていたら、いい先生だっただろうなとリュウジは想像した。

三月になり、今年も六年生がチームを卒業するときが来た。最後の練習の後、グラウンドの脇で、六年生に記念品を贈る小さな卒業セレモニーが行われた。記念品を受け取った六年生が一人ひとり、監督やコーチ、親へのお礼の言葉を言うたび、成長した六年生の姿に目を見張るとともに、まだ低学年だった頃の面影も見えて、リュウジにはこみ上げるものがあった。
「おめでとう。またチームに教えに来てくれよ」
山本さんも目を潤ませながら、一人ひとりに声をかけ、グラウンドから送り出していた。
次の世代へ次の世代へパスを送りながら、チームは未来をつくっていくのかもしれない。そもそも人の歴史とはそうやってできているのかもしれない。
グラウンドからの帰り道、山本さんが言っていたことがリュウジは急に腑に落ちた。
小田原の街が、サッカーをしているように見えた。