あなたの生き方を 教えてください。

あの手この手の営業手法に、
お客様へのエールを込めて。

深栖 貴弘2006年入社(藤沢店)

バンドマン、 借金苦になる。

デスメタル。聴いたことありますか?強烈すぎる音楽なので「聴いてくれ」とは言いませんが、若かりし頃の私はその音楽に人生をかけていました。
大学を出ても就職せず、世界を目指して曲づくり。プロデューサーに売り込んで、ライブに足を運んでもらって。音楽だけじゃ稼げないから、バイトもいろいろしました。新薬の治験なんて、一体何回したでしょうか?それでも借金は膨らみ続け、金髪ロングの27歳、そろそろ限界に来ていました。同じようなバンド仲間が「不動産って儲かるらしいよ」とまことしやかに話すもので、その言葉をまっすぐ信じ、ネットで調べた不動産各社に「面接してください!」と飛び込む。門前払いをされるうちに戦略の必要性に気づき、不動産事業の中でも的を絞ることにしました。
「仲介ならば、不動産の基礎全般が学べるらしい」と照準を定めてから、徐々に面接に漕ぎ着き始め、ついに2006年某日。私は晴れて小田急不動産の仲介営業になりました。

仲介って、 なんて尊い 仕事なんだ

就活を始めるまで、宅建の存在すら知らなかった私です。拾ってくれた当社には大変な恩義を感じていて、私は必死で仕事を覚え、すぐに仲介が大好きになりました。
一年目で、新人賞をとったんです。経験がなかった分、誰より動いた結果でした。そもそも営業自体は、バンド時代に曲を売るためずっとやっていたんですよね。相手に飛び込む度胸はあったし、接点のつくり方や、お会いする人の興味を事前に調べておく大切さは自分なりに知っていました。当社の社員になってからは、周りの先輩をよく見て学び、自分のアイデアも試しながら、毎日夢中で営業手法を増やしていました。
宅建を取得した入社3年目の頃には、もう「仲介命」になっていました(借金も返しました)。お客様が最初に抱く、「この会社に不動産を託していいか?」の警戒心を少しずつほどいていき、最後は誰より深くつながる。「仲介って、なんて尊い仕事なんだ!」と感じていた6年目。東日本大震災が起きました。

曲がり道を、 明るい顔で 曲がれるように。

そのお客様は、震災で家族を失い、悲しみにくれていたご家族でした。苦難の時期を乗り越えるには、家を売り、新しい人生へとあゆみを進める必要がありました。ひとつの家族のターニングポイント。営業として関わる私は、売却だけを淡々と進めることがどうしてもできなくて、数ヶ月、時にはギター持参で歌い、励ましながらそのご家族と共にいました。
良い買い主様とご縁があり、家は無事に売れました。最後に奥様が、「深栖さんのお仕事は、人の心を扱っているお仕事なんですね」とポロッとおっしゃったんです。ありがたく、身が引き締まる思いでした。
言葉にすれば、私はこれまでお客様が人生の転機を明るい顔で踏み出していく力になりたかったのでした。会社もまた、私の気持ちをわかっていたから、私の自由な営業努力を見守ってきてくれていました。

楽しむ心も バトンして。

最近は、もっぱら自前のドローンを飛ばし、フルサイズミラーレスカメラを構えています。物件と周辺環境の魅力的なポイントを、空撮も交えながらプロモーションするためです。思い出の詰まった家を売りに出す時、査定額だけ突きつけられるのはあまりにも残酷なのではないか、と私は思います。だからこそ、売り主様の思い入れを聞きながら丁寧に良さを引き出し、本気のプロモーションをする。映像として思い出にも残す。こうしたプロセスを踏むことで、売却という経験をよりポジティブにできないかと私なりに考えました。魅力を伝えた結果として、相場の査定より高く売れることもありますし、何より私が楽しんでいます。
私を見て、メンバーたちが、思わず一歩を踏み出してくれたらなと思います。自分なりのやり方で突破口を開くことが、どれくらいワクワクするか、見せているつもりなんです。やってみて、もし失敗して落ち込んだら、失敗談を肴にして飲みましょう。私がそうしてもらったように、今度は私がメンバーたちを、愛を持って見守っていくつもりです。