あなたの生き方を 教えてください。

理念の旗に導かれ、
唯一無二の景色まで。

鈴木 和典2009年入社(海老名店 プラザ長兼店長)

井の中の蛙、 小田急に飛び込む。

好きな街は厚木です。厚木から住民票を出したことがこれまで一度もないくらい。飲み屋が多く、やや猥雑な空気もあれど、田舎っぽい垢抜けなさや人の近さが心地良い。生まれ育ちも入社も、ずっと厚木周辺です。
この業界に入ったのは、学生の頃、「個人で取引できるモノで、最も金額の大きいものは?」の答えを不動産に見出したから。当社に入社する前も、厚木にある不動産会社で仲介をしていました。成績は良かったです。秘訣はシンプル、重要事項説明をとことん真面目にやりきること。読み上げるだけじゃなく、お客様の表情を見て、一歩一歩ケアをしながらご契約を進めていく。良いことも悪いことも正直に話していると、「あなたになら」と信頼され、紹介から紹介へとご縁を繋いでいただきました。
軌道に乗り、独立を視野に入れた頃、小田急不動産にいた知人から「お前はまだ小さな組織しか知らない、井の中の蛙だ」と言われたんです。「だったら同じ会社に入って、成果を出して独立してやろうじゃないか。」私の入社理由なんて、単純なものでした。

この文化こそ、 強みなのか。

当社に転職してからも、仕事のポリシーはまったく同じ。ご説明はしっかりと。目先の利益にとらわれず、喜ばれることを優先する。何か違いがあったとすれば、ここでは皆がそのポリシーを持っていて習慣化さえしていたこと、つまりは文化だったのです。もとより小田急不動産は、沿線価値の向上を目指してコツコツ歩んできた会社です。自らも沿線の魅力の一部であるためにまずは親切であろうとするし、もしその姿勢が欠けてしまえばウチじゃないとすら思っている節がある。息の長いお付き合いや、地元から厚く信頼される理由にこの文化があったのかと深く納得しましたし、背中を押された気がしました。
より自信を持てた出来事があります。9年前、相続のご相談で来られたお客様が9年ぶりに来店され、「実家を売るので、仲介を頼みます」とおっしゃるんです。聞けば、当時他社にも相談したけれど、相談だけで売却しないならと、邪険に扱われ相手にされなかったとのこと。ここだけは違ったから、いざって時はここに来ると決めていたと。文化の良さはちゃんと伝わり、選ばれる理由になる、と誇らしく感じました。

己の良さを わかって走れ。

当社の文化を尊く思う。だからこそ次世代に引き継ぎながら、強みとしてさらに大きく伸ばしたい。そんなことを考えるうち、いつしか「独立」の二文字は消え、店長として組織づくりと育成に没頭するようになりました。
文化や価値観の浸透と強化に、共通言語は欠かせません。経営層もその意識を持っていたのか、数年前、理念を言語化するプロジェクトが実施されました。私も参加し「この街を愛し、ここにしかない人生の景色を描く。」という仲介の理念を定め、意識的な共有化を図っていきました。理念が言葉になっていれば、新人からベテランまで迷った時には理念に沿った判断ができるし、個々の努力が同じ基準で肯定されます。
一つの理念に沿ったあとは、「それぞれの得意を生かして思いっきりやってこい。最後は自分がなんとかするから」とメンバーたちに伝えています。この仕事、クレームもトラブルも、避けきれないところがある。逆にいえば、そこにビクビクするばかりでは挑戦なんてできやしない。質問や相談がしやすく、失敗を咎めない空気づくりが、理念を軸にした新たな仕事を生み出す決め手になると思っています。

理念を旗に、 いざ全員で大海へ。

さまざまな取り組みを経て、成果を上げてくる社員が徐々に増えてきています。さらに、成功事例の共有を、一方的な報告ではなく皆での議論形式に変えたところ、浸透がぐんと早まり成功が連鎖するようになりました。当社らしさが強みに変わる好循環の歯車が、ピタリと合ってきたような手応えを感じています。
とはいえ楽観はしていません。いま強く懸念するのは、日本という国全体が人材育成を重視せず、そこに予算を割かない点です。特に社会に出てから教育を受ける機会の少なさは大きな問題だと思います。当社としてはその流れを変えるべく、多様な研修機会の中に社員を送り続けていますが、至らぬ面も見えています。私たちはこの先で、この街に本当になくてはならない存在になれるのか。私たち自身もまた、私たちの人生の景色をのびのびと描けるか。やれることはまだまだあるし、ここからが勝負です。自分のキャリアの最後まで、理想を理想で終わらせず、全力で追いかけます。