あなたの生き方を 教えてください。

人の心を動かす。
役者に懸けたあの日も、今も。

清水 進也2018年入社(鶴川店)

18歳、 芝居に惚れて

出身は島根です。実家はとても古い家で、雨漏りがあり、エアコンはなく、トイレはなんと汲み取り式。お風呂場にはドアの代わりに薄い暖簾がゆらゆらと。「夢の住まい」の絵を描いては弟と遊んだものです。
高校のころ観たテレビドラマに衝撃を受け、「芝居で人の心を動かせるってすごい!」と役者を志しました。東京に向かいましたが、住むところを探しても、不動産屋は「バイト決めてから来てください」、バイトに応募しようとすれば「住所不定じゃ雇えません」。新宿の不動産屋のお兄さんが「親名義ならなんとかなるかもしれませんよ」と知恵を授けてくれて、やっとのことで東京暮らしが始まりました。
バイト、レッスン、オーディション。芝居にCM、モデル業。楽しすぎて、月日が飛ぶように流れました。30歳。徐々に後輩指導が増え、自分がただ演じることに時間を割けなくなる中で、役者を続けることに迷いも生じてきていました。その時ふっと浮かんだのは、上京直後の自分や島根で暮らした家のこと。家の「困った」を解決するって、価値ある仕事かもしれない。そうして人生の新たな幕は、不動産会社で開きました。

沿線の思い出ごと、 人のご縁を 繋いでいく。

最初の会社では賃貸をし、次は売買仲介へと関心が移りました。売買仲介は、お客様とじっくり向き合い、豊かな専門知識を駆使して高額なお取引を支える仕事。ハードルは高いけれどやりがいも大きそうで、挑戦心から転職しました。
当社の売買仲介に惹かれた理由は、沿線の魅力にあります。妻と付き合いだした頃に、初めて旅行に行った箱根や、同棲した下北沢。思い出の多い地域で、売買仲介のプロとしても、この街のプロとしても両側面で活躍できる。他にはない魅力でした。
働き出すと、親身になって質問や相談に応じてくれる上司が多く、この会社に入れた自分は運がいいと思いました。また、お客様の沿線への思いの強さにも驚きました。「ここで父と電車を眺めていたんですよ」と幼い頃の思い出を話してくださる方、親子二代でそれぞれ沿線に住まいを持っておられる方。人生を紡ぐ街で、家を売り、家を買う。その横にちょこんといさせていただく自分は、どんなご縁を結べるだろう。毎日が新鮮で、期待に満ち溢れていました。

契約の外側で、 人として 何を思うか。

非常に長いお付き合いに発展したご夫妻がいらっしゃいます。
最初のご相談は、「今住んでいる家を売って、日当たりの良い家に住み替えたい」というものでした。順調に家が見つかり、住み替えてすぐのこと。新しい家で、雨水による浸水トラブルが発生してしまいます。それ自体はリスクとして契約時に織り込んでいましたが、契約上は問題なくとも心配が勝り、役所に地下を通る雨水管のルート変更を掛け合いました。数度にわたり粘り強くアプローチしていると、タイミングよく前面道路の公共工事が決まり、抱き合わせで個人敷地の雨水処理工事も決定!お客様と喜びあい、感謝もいただけました。すると後日、その方から「私が経営しているマンションの管理を、小田急不動産にお任せしたい」という大型のご相談が。信頼され、お取引が続くこと数年、私に子どもが生まれた時にはベビー服をお贈りいただきました。人として人生を応援し合うようなご縁になったと感じています。

すべてのドラマに ハッピーエンドを。

売買仲介って、ドラマです。お客様が主役のドラマ。何十年も住んだ家を手離す方も、これからの何十年を新たな家に託す方も、同じくらい本気です。そこに自分が関わるならば、どうかすべてのお客様に幸せになってほしい。理想を胸に抱きつつ、綺麗事で終わらすまいと日々のアクションに変えていく。そのスタンスをみんなで共有しているところが、当社の強さだと思います。
18歳の私は、芝居で人の心を動かしたくて上京しました。お金がなければ500円玉貯金箱に定規を突っ込んで引き摺り出し、しのぐ日々が幸せでした。一生懸命生きた街の、いま、全部が舞台です。一人でも多くの人の心を動かし、当社のファンを増やしながら、自分の役を全うしたいと思います。
余談ですが、島根の実家は二十歳の時に父がフライドポテトと一緒に燃やしました(笑)。幸いにして人間も動物(※犬、猫、にわとり)もみんな無事で、火災保険で新築が建ち、みんなにこやかに暮らしています。今度、久しぶりに集まります。賑やかな日になりそうです。